#2435 "#2423の一文解説" Oct.4, 2013
---------------------------------------
(4) The Slovenian representative asked why Japan has been dragging its feet for two years and stressed that Tokyo should have sought out a solution that would spare the environment right from the beginning of the crisis in spring 2011.
---------------------------------------
andの次の主語は最初のものと同じだから修辞上省略されているので補うと、
The Slovenian representative stressed that Tokyo should have sought out a solution that would spare the environment right from the beginning of the crisis in spring 2011.
spareはコンテキスト(文脈)から考えると、「環境権を~するような解決のしかたを探すべきだった」となっているから、「侵害しない」という日本語が思い浮かぶ。
spareは右手にぶら下げた大きな皮袋のなかにボールがたくさん詰まっていて、左手に同じタイプのボールを持っているような状態を表しているのだが、はたしてそういう日本語が辞書の中にあるのかどうか、探してみることになる。
『ジーニアス第4版』でspareを引くと
⑤…に気を配る、<人・物>に損害を与えない
なるほど、予備をもっていたら「他人に迷惑をかけないですむ」から「~に損害を与えない」という意味が派生するのかと合点がいく。『英語基本動詞辞典』にはspareの冒頭のところに次の説明がある。
「構文の面では、一般に 'S spare O' の型で用いられるが、「O1<人>にO2<厄介など>をかけない」」
だれの「環境権」かを考えなければならないが、放出された放射能が大気汚染や海洋汚染を起こしていずれは公海上へも広がっていくから、「国際社会の international community's 環境権」であることは容易に推察がつくだろう。
Tokyo should have sought out a solution~ は「should+現在完了」で過去を追想しながら心の奥にしまってあるキモチを表現できる形式である。
「東京(日本)は当然(かくかくしかじかの)解決を追い求めるべきだった(が、そうはしなかった)」
if節がないから、仮定法過去完了ではない(と高校英文法上はなっている)、しかし仮定法過去完了の帰結節と同じカタチである(から、関係がないわけではない、否、「反実過去」だから、概念的には仮定法(ドイツ語やフランス語では接続法)に含まれる)。(接続法は)「あのときに当然そうすべきだった(のにしなかった)」というキモチを表現する形式である。
(*仮定法と接続法についてコメント欄に興味深い議論があるので、高校生や大学生に読んでもらいたい)
スロベニア代表は過去を思い出しながら「メルトダウンを起こしたあのときから海洋汚染を起こさないことを最優先した対応方法を考えてくれていたら、こんなことにはならなかっただろうに」といまさらながら非難を込めて語っている。
ついでに仮定法過去完了を復習しておこう。『if・仮定法の使い方のすべてがわかる本』中野幾雄・明日香出版社(昭和62年10刷り)に仮定法過去完了の文例が載っている。(⇒絶版になっている)
-------------------------------------------
・・・共通した特徴は、すべて「~であったら、~であっただろう」という過去への想像である。
ifのあとは過去完了、そして帰結節はwould, should, could, might のひとつに現在完了形の形が続く・・・ (119ページ)
・・・
例文3 もし私がこの事実を知っていたら、当然あなたに話したことでしょう
・・・
have told~に助動詞をつけるのだが、この文は「当然」と言っているから、その味わいをもつshouldを使うことがふさわしい。
I should have told~となる。
訳 If Ihad known this fact, I should have told you about it.
(123ページ)
---------------------------------------------
「スロベニア代表は強調した/東京は(国際社会の)環境権を侵害しないような解決案を捜し求めて当然だったのにしなかった/2011年春の重大事故の始まりから」
⇒
「2011年春の重大事故(原子炉3基の連続メルトダウン)の始まりのときから、東京(日本)は国際社会の環境権を侵害しないようなやりかたを捜し求めるべきだったのにそうはしなかった」
フクシマは東京電力の問題でありながら、国際社会から見ると一企業を超えた日本の問題なのである。
*#2423 'IAEA members give grief over leaks' Sep. 28, 2013
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-09-29
#2443 仮定法ってなんだろう?(1):コメント投稿欄での議論 Oct. 10, 2013
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-10-09-1
#2444 仮定法ってなんだろう?(2):コメント投稿欄での議論 Oct. 10, 2013
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-10-10-1
#2445 仮定法ってなんだろう?(3):コメント投稿欄での議論 Oct. 10, 2013
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-10-10-2
#2446 仮定法とはなにか(1) : Boys be ambitious. Oct. 11, 2013
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-10-11
にほんブログ村

if・仮定法の使い方のすべてがわかる本―実用英語が徹底的にわかるシリーズ
- 作者: 中野 幾雄
- 出版社/メーカー: 明日香出版社
- 発売日: 1985/10
- メディア: 単行本
この記事へのコメント
わたしも気になって、『if仮定法の使い方がすべてわかる本』(中野幾雄著)を読み直してみたのですが、if節のないのはwishのみ。
反現実仮想を仮定法と定義すると、例に挙げた文も立派な仮定法、その主張には肯けます。
ドイツ語の関口存男先生に軍配を挙げたいですね。
英語の専門家で誰か他に同じ立場の人がいるでしょうか?ちなみに中野幾雄氏は学者ではありません。
英語参考書の古典的著作である江川泰一郎『英文法解説』でも、仮定法過去と仮定法現在はwishを除き、文例はすべてif節を伴っています。
>。――「ひとあらば、」で「ましかば」がなくても仮定法if節になるのと同じです。
>I wish みたいなものです。――――同様に「君あらまし」だけで帰結節になりますよね。どちらも、事実と反することが前提になっています。
じつは、わたしも最初は、わたしの挙げた文例が仮定法だと解説を書いたのですが、念のためにとおもって手元の英文法関係の本をあたったら、if節つきの文例ばかりで「あらら…」と、書き直したのです。(笑)
古い本ですが三好助三郎『独英比較文法』には
「英語では副文の定動詞がwere, bad, could, shouldの場合はifが省略せられることがあるが、ドイツ語の場合に比べてはるかにすくなく、また口語ではifを用いた構文のほうが好まれる 」P274 第27章非現実話法より
新聞に載っていたのは口語ではないのですから、副文単独での文と考えていい。
とにかく、手元の高校英語参考書を何冊かめくってみてそういう用例の説明がないので、should have soughtを仮定法と書くのをためらった(?)わけです。
高校レベルの英語参考書で「should+現在完了」の型を仮定法として解説している本はほとんどないのではないでしょうか。
もちろん、反現実仮想が仮定法の本質で、if節を伴わないものも仮定法に含めるというドイツ語の接続法に焦点を当てた説明は納得できます。
用例から語るのではなく、仮定法の概念を定義して、用例を整理する、すっきりしています。
ここまで書いてきて、本文を書き直す気になりました。
本文に注を入れて説明しておきましょう。
今夜の作業になります。
仮定法を反現実仮想と定義すると、英語の仮定法現在は仮定法には分類できなくなります。
関口先生は接続法と言っています。仮定法現在は関口先生の用語では直説法です。
どういう注記を入れたらいいのか、あるいは書き直しをどうやったらいいのか少し考えます。
おそらく、割り切りの問題だろうと思います。
仮定法という用語と接続法と直説法は分類基準が異なるような感じがあります。
英文法書は基本的にif節を伴うものを仮定法と定義しているのではないでしょうか?
関口存男の接続法で整理したら、現在の高校英文法書は仮定法の分類を改めなければならなくなりそうです。
面白いですね、もう少し議論させてください。
仮定法現在はどう扱いますか?
そこで、自分の浅い知識でお話しするのは、ひょっとしたら的外れかも知れませんが、自分は「反現実」は仮定法ではなく、過去形にある、と考えています。
例えば、I lived in Kushiro. と言った場合、誰もが「今は釧路に住んでいない」と想定するわけで、そこでwouldやshouldが登場するということになるんだと解釈しています。
例えば、日本語でも「私は痩せるつもりだ」を「私は痩せるつもりだった」と過去形に言い換えれば、それは、結局「痩せることができなかった」という解釈になるのと同じ、と思っているのですが。
She was beautiful.
⇒彼女は美しかった。
⇒今は違う。
このように【過去形】は、
【現在のキモチ】を内包しているのです。
さらに言えば、
【現在形】の真意は、
「昨日も今日も明日も・・・」なのであり、
ちっとも【現在】じゃありません。
文法用語は要りません。
また、会話文では、I could do that.(やろうと思えば)「できるけど…。」なんて普通の表現です。また、I would like toは、I want to よりwouldの仮定法的な響きで、「非現実、そこから生じる距離感さらにその上にのっかった丁寧感」のある表現です。I wouldで、音を止めて見たときの残像が語のイメージとでも言えますか。
(過去形のこの感覚がしっかりしていると、完了形との使い分けもしっかりしますし)――――――――――別に、仮定法という言葉は使わなくても、反実仮想は時制が一つ前で、いいと思います。けれど、今学んでいる高校生は、仮定法と言う言葉にまみれているわけで、説明のためには多少使わざるを得ないのではないかと…(この文の文末、仮定法っぽくなりました)
早起きですね、合格先生。
>自分は「反現実」は仮定法ではなく、過去形にある、と考えています。
>例えば、I lived in Kushiro. と言った場合、誰もが「今は釧路に住んでいない」と想定するわけで、そこでwouldやshouldが登場するということになるんだと解釈しています。
分かりやすい説明です。普通の過去形が反実仮想、「釧路に住んでいた=いまは他のところに住んでいる」。過去形はしばしばそうした含意で使われていますね。
現実からの距離感が過去形の本質、そう大西泰斗先生も説明しています。だから丁寧表現にも使われる。認知論からの英文法解説は納得性が高い。
私たちはどこかで生徒に説明するときの生徒の納得性が高いか低いかという基準でものごとや概念を無意識に判断しています。
>例えば、日本語でも「私は痩せるつもりだ」を「私は痩せるつもりだった」と過去形に言い換えれば、それは、結局「痩せることができなかった」という解釈になるのと同じ、と思っているのですが。
その通りだと思います。
土曜日でも皆さん起きるのが早い。
>このように【過去形】は、
【現在のキモチ】を内包しているのです。
「カタチ・イミ・キモチ」、Hirosukeさんの思考に慣れてきていますから、よくわかります。
なるべく文法用語を使わない説明も、ようは生徒に分かりやすい方法がよいのでしょう。
だから、私は生徒によって答え方を使い分けています。
文法用語をがんがん使ってもいい生徒には使います。
日本語文法もあやしい生徒もけっこうな割合でいますので、そういう場合は日本語文法の解説を併用するか、文法用語をなるべく使わない。
文法用語に慣れさせる必要はあると思っています。
それぞれの科目にはそれぞれ「専門用語の語彙群」があります。それを使ったほうが便利だからです。英語の文法用語もそれらの仲間の一つだと考えています。
仕事で専門分野が異なる人と話しをするときに、相手の専門分野の用語を使って話しができると、話の要点をついたコンパクトなコミュニケーションが成り立ちます。仕事でずっとそうしてきたので、これはわたしの「性癖」です。
>【現在形】の真意は、
「昨日も今日も明日も・・・」なのであり、
ちっとも【現在】じゃありません。
現在形がけっこうむずかしいし、使える範囲も限定されています。それはどこかで「不変」という感覚で使われるからでしょう。
昨日も今日も明日も変らない。
この2週間ぐらい、Grammar in Useを使い出した高校生がいます。現在進行形と現在形の使い分けの章で悪戦苦闘しています。めんこいですね。
接続法と直説法という概念分類は「仮定法」という分類とはぴったり重ならないようですね。
集合Aと集合Bがある、A∩Bの部分もあるがA-A∩Bの部分が残る。
接続法と直説法は概念としては排反事象ですが、形式は同じ部分とそうでない部分がある。それの辺りを処理するために第二式接続法を定義しています。
仮定法を集合Aとして接続法をBと考えると、A-A∩Bの部分に仮定法現在があります。
>It rain tomrrow!なら(まずこんな言い方はしないけど)仮定法現在ってところでしょうか
面白いですね。『関口新ドイツ語大講座<上>』182ページの「第26講 接続法の形」の冒頭に英国国家からの引用があります、
'God save the king.'(神が国王を守り給わんことを)
「神が国王を守り給う」の意味だったらsaves(直説法)でなければならないとしています。明解でわかりやすい説明です。
英語の接続法はドイツ語のそれに対して「貧弱である」とも解説しています。
接続法が整然としているドイツ語に対して崩れ、一部がほとんど消えてしまった英語、そこに新たな分類=仮定法という用語=範疇が定義される必要を感じます。
要するに、概念云々の議論をせずに、形式だけを見て分類しているのが、高校の英文法参考書だろうと思います。
文法学者が書いているわけではありませんから、読む生徒の理解度に応じた形式分類になった、そう考えて差し支えなさそうです。
>また、I would like toは、I want to よりwouldの仮定法的な響きで、「非現実、そこから生じる距離感さらにその上にのっかった丁寧感」のある表現です。I wouldで、音を止めて見たときの残像が語のイメージとでも言えますか。
この点はまったく異論ありません。合格先生もHirosukeさんも同じですね。
私もちょっと気になったのが、次の論点でした。過去形と仮定法の区別。後志のおじさんのは明解でわかりのよい説明です。
>ただ、I lived inだけでは、過去と紛れるから、気持ちの持ちようとあわせて、could should、would+liveとするのだろうと。――――――ラジオ英会話の遠山先生も、仮定法とは決して言わず、「過去形の過去に引き戻す強い力」と言う表現をよくしています。これですっきり理解できます。
表面的な形式で分類して説明している高校英文法はそれなりに便利さもありますが、少し突っ込むと概念的な説明では統一的に扱うことが出来ません。妥協の産物なのでしょう。だから、関口存男先生の接続法の定義はリジッドすぎて高校英文法参考書では使われないのではないでしょうか。
>別に、仮定法という言葉は使わなくても、反実仮想は時制が一つ前で、いいと思います。けれど、今学んでいる高校生は、仮定法と言う言葉にまみれているわけで、説明のためには多少使わざるを得ないのではないかと…
いい議論になりました。オープンな場で議論をすると、これを読んだ高校生諸君がドイツ語に興味を抱いてくれるかもしれません。接続法はフランス語にもイタリア語にもロシア語にも共通した概念ですから、どの言語を選択してもぶつかる「壁」のひとつです。
ひとまず本文のほうの解説はそのままにしておきます。仮定法(接続法)には概念に関する議論のあることぐらいは付け足す必要を感じています。
気がついたことがあれば、どんどん書きたしててください。
一生懸命に読みます。
楽しいのです。
もったいないので、そのうちにまとめて本欄にアップします。
後志のおじさん、問題提起ありがとうございます。
合格先生、Hirosukeさん、議論に参加してくれてありがとう。
読んでくれている高校生や大学生、そして社会人の皆さんにも感謝。
>should+完了形ですが、should、could、mightはすでに過去形。ついでにmustは過去形と現在が同形。だから、shouldの過去だぞと理解すればよろしいかと。
これも高校生には説得力のある説明です。
過去の過去だから大きい過去で「大過去(過去完了)」、助動詞の過去形があるときにはhaveをマーカとして完了形と同型にすることで、大過去をあらわす。
英語の他の言語を勉強すれば英語の見え方が違ってくるのでしょう。
大学生になったら、第二外国語を履修したらいい。
高校文法書は型の説明に終始することが多く、なぜという問いを立てない。
ややこしい話になりかねないから無意識に避けているのでしょうね。
↓
◆have=●●を持っている◆
は小学生でも知っています。
しかしながら、
「haveできるのは物(名詞)だけ。」
と思い込んでいる先生がいます。
ネイティブ達は、
「状態(形容詞)だってhaveできる。」
と拡大解釈しています。
----------------------------------------
いわゆる完了形◆have 過分◆
⇒過去という状態を「持っている」
⇒ずっと今も~している
----------------------------------------
さらに拡大解釈されて、
「他の誰かの状況だってhaveできる。」
となった例が・・・
----------------------------------------
いわゆる使役◆have ダレダレ ~スル◆
⇒ダレダレが ~スルという状況を「持っている」
⇒ダレダレに ~シテモラウ
----------------------------------------
Hirosuke式解説、いいですね。
>◆have=●●を持っている◆
>「haveできるのは物(名詞)だけ。」
と思い込んでいる先生がいます。
ネイティブ達は、
「状態(形容詞)だってhaveできる。」
と拡大解釈しています。
具体的な事物・空間から、抽象的な空間への拡張はいろんなところで起きますね。
ふだんから意識してみていないと気がつかないで通りすぎてしまいます。
概念の拡張は高校数学で何度も出てくるので、英語でも同じです、慣れてほしいですね。
「状態をhaveする」ところを経て、「他人の状態をhaveする」=「使役用法のhave」にいたる。
一本の線でつないでいく。
これって、大西泰斗先生のネイティブシリーズの動詞編に載っているのですか?
それともオリジナル?
haveは他の本でも説明していますが、はたして使役のhaveは説明があったかな?
昨日も、
I have a dog.
I have a sister.
I have lunch.
I have a lot of money.
・・・
具体的なものばっかりですね。
この次は格調高くやってみようかな。
"I have a dream."
なんてね。
キング牧師の名演説。
中2の生徒だったので使役のhaveは出てきませんでしたが、この次は混ぜてもいいかな。学年トップクラスの生徒には構わずガンガン教えちゃいます。(笑)
数日中に、この議論をそのままこの記事とは別にして本欄へ転載します。
後志のおじさん、合格先生、Hirosukeさん、みなさんのご意見ご協力に感謝申し上げます。
>大西泰斗先生のネイティブシリーズの
>動詞編に載っているのですか?
↓
使役についてはYes、完了についてはNoです。
目から鱗が落ちて、
文法用語を捨ててから、
色々と拡大解釈できるようになった結果です。
>文を隠して一語ずつスクロールして読む。
↓
◆英語は右へ右への一方通行である。◆
生徒にやらせると、
生徒の読み方やイメージが確認できて面白いです。
それができる人は強い。
長年時間をかけて積み上げたものを全部捨てるのは常人にはできない。
一回り以上下でしたが、一人そういう人がいました。
30代で転職して、その後その会社が上場し40代で役員になっています。
ひょっとしてHirosukeさん、超人的に強い人なのかも、自分で気がついていない?
あの・・・、
【Hirosukeさん様】ってのは・・・、
どうか今後は・・・。
ダンケシェーン
コメントありがとうございます。お礼に国文法の方で。
り助詞の「へ」は方向や対象を示す。「に」は、比較的用途が広く、場所・時間・対象・原因・目的・結果・並立を示します。どちらも格助詞です。
基本的には、どちらも対象を表しますので、その用途の場合はどちらを使ってもいい、ということになります。
言葉の性格としては、場所について使う場合、英語に例えると「へ」はforに近く、「に」はtoに近いという感覚でいてください。
と言いながら、現実的なハッキリとした線引きはないので、例えばコメントの冒頭に書く「〇〇さんへ」では「へ」を使いますが、英語だと「to 〇〇」になったりしますので、あくまで参考程度にしかなりません。
ただ、最近では、目的をハッキリさせないために「方(ほう)」を入れる表現が増えていて、日本語の乱れとして扱われている「~の方になります」という若者が増えている、と考えてください。
>機会を下さったebisuさんに(へ?だったら文法的にどう説明します?)感謝です
問題提起が上手ですね。(笑)
この用例では違いを感じないので、感じないといけないのかな、朝起きてすっきりした頭でもう一度読めばなにか差異が目につくかもと、寝てしまいました。
さて、なんだったけともう一度見たら、早起き(夜更かし好き?)の合格先生が文法的な説明をしてくれていました。ありがとうございます。
合格先生の手紙の指摘は面白かったですね。「to+人」ですね。forは使いませんね。
toが着点を含んでいるからでしょう。
コメント欄で'「後志のおじさん」さんへ'と「へ」を選んだのはコメント欄が集いの広場だからのようです。コメント欄の読者を意識しながら、このコメントは「皆さんにも読んでいただきたいのですが、問題提起をしてくれた後志のおじさんへ」向けられたものですという含意を表しているのではないでしょうか。
「後志のおじさんに」とするとコメント欄の読者は関係ないよ、後志のおじさんだけだよ、そう聞こえる気がします。
そう、このケースの場合には手紙の形式の「to」が「に」に当たる。
こういう分析は意識の底、無意識の層を分析するような作業になるのですね。
助詞は意識せずに自然と感じられるものを感覚的に判断して使っているので、
<どうでもいいじゃないか、不都合がなければね>
というのが英国流、
<格助詞「へ」と「に」に概念的定義を与えてみよう>
というのが、ドイツ流。
英国は慣習法で十分、不都合があればその部分だけを修正すればいいだけ、根っこからの見直しなんて必要なし、古いものがなんとなく正しい、という世界。
ドイツはつねに概念とか体系を問題にしたくなる。「接続法の概念規定とはなんぞや」、こんなことは英国人の視野の外でしょうね。
>、「長年、これでやってきていて大きな不都合はない。理論的整合性を求めて名称を変えると無用な混乱を起こす。」とでも思っているのだろうと勝手に思っております。
まったく同感です。
いい天気です、庭でスズメがさえずっています。空気がすこし冷たくなりました。季節をつかさどる神々に感謝。
↑ ↑
この一文を巡って「どっちが主語なのか?」と、
日本の国文法学者が今なお論争中だそうです。
言葉はリジッドな数式なんかじゃなく、
ファジーなイメージから想起されているのだから、
そもそも学問的に厳密な定義には無理がある。
もっと有意義な仕事をして欲しいですね、
学者の皆様【に】は。
ここは【へ】は×ですね。
↑ ↑
「どっちが主語なのか?」
ドキドキしながら待っています(笑)
火種となったebisuさん「に」だと、ebisuさんの解釈もよさそうですし。(私はこの場合は、にが対象でへだと方向になるなと思っていたのです。)いやはや、面白いです。――――Hirosukeさんから出された「象は鼻が長い。」ですが、述語が「長い」なんだから、主語は鼻がしかあり得ないと思いますけど学者の方は、違うのですかね?因みに「は」は、主語をというより、「他とは違っている」ことを表す、「他の者の存在」を暗示するマークと思っています。―――「私は、やりました。」と「私が、やりました。」―――「彼女からは、連絡がなかった。」
(他からはあった。)―――「興味深い、とは言える。」(本心は別のところにある。)等の例「は」いかがでしょうか?
「へ」と「に」の違いですが、「大学へ行く」「大学に行く」の場合、「行く」という動詞の意味がちょっと不安定なので、自分はこういう場合、動詞の意味をもう少しハッキリさせて考えることにしています。例えば、
「大学へ進学する」
「大学に進学する」
とすると、ニュアンスとしてどうか、また、これに未然形の言葉をつけて
「大学へ進学するつもりだ」
「大学に進学するつもりだ」
他の表現だと
「大学へ進学することが決まった」
「大学に進学することが決まった」
また、動詞を「ある場所に行く」という意味にして、
「大学へ行ってくる」
「大学に行ってくる」
そして、これはあくまで自分のイメージですが、「に」の方が「へ」よりも、目的や意志がハッキリしている場合に使う、と判断しています。ですから、自分の感覚では、そのときの目的意識や意志の強さによって「大学へ行く」「大学に行く」の使い分けが生じているだけで、進学する場合でも場所に行くという場合でも、どちらでも使っていると思います。
「象は鼻が長い」の例については、自分も同意見です。述語は長いですから、「長い」ものは何だ、となると、普通に「鼻」と考えるのが一般的かと。
助詞の「は」については、おっしゃる通り、用法は「(他者との)区別」「題目」で、分類上は副助詞です。
たぶん、学者さんは、他者との比較でみた場合、「キリンは短い」「象は長い」と表現できることから、「象は」を主語と見立てることもできる、という発想ではないかと思います。
ただ、主語については、助詞の関係とは全く別物で、述語に対する動作主などと考えれば済みます。例えば、
「僕も行った」の「僕も」
「雪の降る」の「雪の」
なんていうものもあるので、子供たちには「が」に置き換えて考えなさい、などと言いますが、結局、助詞とは根本的に切り離して考えた方が良いかと思います。
7行目の「未然形」は「未然の意味の言葉」という意味で、文法上の「未然形」ではありません。申し訳ありませんが、直して読んでください。
-------------------------------------
直訳:Noses of elephants are long.
意訳:Elephants have long noses.
-------------------------------------
あぁ、どっちも主語だ。。。
どうやらわたしは仮定法という日本語にだまされていたようです。
仮定法は英語ではsubjunctiveですが、「仮定」の意味はありません。
ドイツ語の接続法はconjunctiveです。つづりを見ただけでドイツ語のほうが型がしっかりしているように見えます。ドイツ語の接続法を「正」とすると英語の接続法は「副」です。
Collins Coubuild Advanced Leanrner's English Dictionaryに次のような定義がありました。
Subjunctive
In English, a clause expressing a wish or suggestion can be put in the subjunctive, orin the subjunctive mood, by using the baseform of a verb or 'were'.
Example are
'He asked that they be removed'
and
'I wish I was somewhere else' .
These structures are formal.
提案や願望を表現する節は仮定法(接続法)では動詞の原型かwereを用いる。
眼目は従属節の動詞の型にあるようです。
God save the king.
友人のEさんから、これがいかにも接続法らしいとメールをもらっています。
Grammer In Useのunit 32がsubjunctiveなんですが、
demand、insist、propose、recommend、suggestなどの動詞と一緒に使うと書かれています。
Coubild English Grammarにも'7-20'に22個の動詞群が挙げられています。'7-82'にも11個の動詞群がリストされています。
後志のおじさんが最初にいったこと、if clauseがあるかないかは関係なし、が正解でした。
subjunctive mood(接続法)はで扱われている文例にはif clauseが一つも含まれていません。
高校英語参考書の仮定法は日本だけのものですね。実態はif clauseです。
本欄で整理したほうがよさそうです。
数日中にやっておきます。
―――――だいたい、ebisuさん「が」おっしゃたように「仮定」法なんて名付け方が、trickyかつトリックみたいで私自身「が」本当に苦しみましたからね。―――――日本人なんだから、「ましかば…まし」を英語でいうと?って、古文とのコラボレーション授業で片付けるべきだと思っているのです。5時間もやれば、大学進学を目指す生徒なら理解「は」充分できると思うのですが。
>仮定法(接続法)では動詞の原型かwereを用いる。
>'He asked that they be removed'
↑
昭和56年発行のチャート式(by オックスフォード大講師の慶大教授)によりますと、
------------------------------------------
米ではshouldを用いないで動詞の原形を
用いることがしばしばある。
------------------------------------------
かつてのイギリスやEU圏では、
should を入れるのが一般的だったんですね。
「アメリカでも古い人はshould を入れる。」
とも受け取れます。
イギリスにせよアメリカにせよ、
完全な土着ネイティブより移民の方が多く、
色んな英語が飛び交っているのも、
省略が正式用法となる一因でしょう。
言葉の乱れと変遷が速過ぎて、
最大限に公約数を取らざるを得ないからです。
―――後者の例「したっけ、あしたこえばいいよ。」(高校生でもまだまれに北海道後志で話者のいる日本語)したっけのけは、けり。こえのこは、古文のカ行変格活用「来」の未然形。autumnとfallみたいでしょ?―――言葉の乱れとみるか、変形とみるか、視点「は」様々ですね。
すみません、
証拠【が】必要だと思って書き直しました。
大きく趣旨【は】変わっていないのですが、
コメント欄の流れ【が】分断されちゃいましたね。
当地(栃木県)の古い人【は】、
「したっけれ、・・・」と言います。
わたしが本欄で挙げたのは次の一文でした。
> Tokyo should have sought out a solution~
>は「should+現在完了」で過去を追想しながら心の奥にしまってあるキモチを表現できる形式である。
これを高校英文法の範囲では用例の説明がないので仮定法ではないとしました。
Subjunctiveとはshouldを使わずにthat clauseに動詞の原型を置く用法です。動詞の原型がshouldの意味を含みます。よりフォーマルな言い方。
COUBILD English Grammarの'7-40'に説明があります。
ところが、'7-82'で間接話法のthat節で使われるshouldがsubjunctiveだと、いくつも文例を挙げて示しています。
長くなりそうなのでこれもあとで本欄で説明します。
國學院大學で先生をしている友人のEさんが、仮定法に関するわたし達の議論を読んでメールでこんなコメントしてくれました。
-------------------------------
God save the Kingこそドイツ語の接続法に相当するという話は昔、この部分を読んでなるほどと思った記憶があります。
たとえば、クラーク博士のBoys be Ambitious ! もこれを読むまでは
Boys, be ambitious ! だろうと思っていましたが、<接続法としても読めるのだ!>とこじつけることもできるわけです。
---------------------------------------
Boys, be ambitious !は学生に向かっていっているのですから、舞例文ではなく、「かくあれ!」という意味でしょうね。これはsubjunctiv mood(接続法)の典型的例にみえます。
高校で英語を教えている先生たちはまさか、これを「命令文」だなんて教えていないでしょうね。
Eさんの専門は哲学ですが、最初に出会った頃はギリシア哲学の諸概念を理解するためにギリシア語の勉強をしていました。なかなかすごい奴がいると思ったものです。同世代なので、関口存男の『ドイツ語大講座』を繰り返し読んで勉強しています。
いまは國學院大學の先生をしています。
この話題、ちゃんと着いて来れてる?(笑)
え、本当?
そりゃスゴイ。
そんなキミは僕の学生時代より大人だな。
あの頃の僕【だった】ら、何も理解できなかったよ。
↑
「今は違うけど。」
YAMATO高校♪合唱部 『わが◆マイルストーン』2
舞例文⇒命令文
↓
だから僕は【文法用語】を捨てて、
【カタチ・イミ・キモチ】で教えてます!!!!!!!
とは言うものの、主語とか三単現のSとか関係代名詞とか、使役とか、ある程度 のtermは、共有しておいた方が、話がはやくすすめられるのも確かです。でも仮定法はあまり深入りしないほうが、よさそうですね。―――――ラジオ英会話の遠山先生も15年ほど前の英会話入門の時代には「仮定法」という言葉だけは、使っていましたが、最近は全く使わなくなりました。共通理解を前提にできないからだと思います。私も説明する時は、termは「仮定法」だけは使いますが、そこから先は立ち入らないようにしています。
でも、これって、8ヶ月間札幌農学校にいたクラーク・スミスが馬上から学生に別れを告げたときの言葉ですから、カンマのない表記もありえます。
カンマを加えたこと自体が、書き記した人の解釈とも言えます。
クラーク博士の本音はどうだったのでしょう。
'God save the King.'とは違って「少年」神はではありませんから、「少年よ野心的であれ!」くらいの日本語が適当でしょう。
札幌農学校の学生達は純朴で勤勉だった、しかし、野心的ではなかったので、それを慮って馬上から一言「野心的であれ」と発したと解釈したい。
札幌農学校については、黒田清隆がこの学校に校則は要らぬ、ただ'Be gentleman'(紳士たれ)と言ってますが、これはsubjunctiveという理解だからこその訳だと思いますがいかが?
>ネーミングに理解を難しくする原因あり!
この点はその通りだと思います。
subjunctiveは接続法と素直に訳せばよかったのです。仮定法なんて日本語を充ててしまったので、その日本語が独り歩きして、現在のような姿になったのでしょう。
数学にも似たような事例があります。irrational numberをに無理数という言葉を充ててしまいました。中3の生徒は初めて「無理数」という語を見たときにはナカミの判断がつきません。
ir・ration・al⇒否定・理性・形容詞語尾
こういう受け取り方をしたので、無理数という日本語を充ててしまった。完全な誤訳です。
ir・ratio・nal⇒否定・比・形容詞語尾
「比で表すことのできる」という意味だったのです。整数比で表せない数のことだった。"非分数"というような日本語を充てれば理解が簡単でした。
方向違いの「仮定法」が広まってしまったのは受験問題に使いやすかったからかもしれませんね。
世の中にはドイツ語やフランス語の接続法の知識のない人のほうが圧倒的に多いので、「仮定法」に違和感がなかったのでしょう。
じつはわたくしは1990年前後にGrammar In Useをやってみて、subjunctiveの扱いが「仮定法」とはまったく違うので不思議に思っていました。ようやく謎が解けた思いです。
文献を示して整理して"subjunctiveといわゆる「仮定法」"、今週中にアップしたいと思います。
>ラジオ英会話の遠山先生も15年ほど前の英会話入門の時代には「仮定法」という言葉だけは、使っていましたが、最近は全く使わなくなりました。共通理解を前提にできないからだと思います。私も説明する時は、termは「仮定法」だけは使いますが、そこから先は立ち入らないようにしています。
仰るとおり深入りしないほうがいいですね、高校英文法の範囲を越えていますから、大学の英文科の学生が学ぶべばいい。
でもこれだけ議論を重ねたのですから、本欄で一度整理はしてみます。
主語
⇒「は」とか「が」とか
三単現
⇒he, she, it の(e)s
関係代名詞
⇒カタチを図解で説明。
●●格とかも使いません。
自分で図解できるように練習させる。
関係副詞も全く同じ図になることを強調。
残念ながら、
文字や言葉では伝わらないんですよ、
この手法は。
キモチは両方だったのかもしれません。
高校の先生は両用の読み方ができることを生徒に説明してほしいと思います。とくに北海道の高校ではぜひそうしてもらいたい。
【Eさんの直感intuitionのすごさ】
Eさん、いい感覚している。10月5日午前中に届いたメールを大学生諸君の向学心を喚起するためにオープンしたい。メールは適宜ブログで取り上げてもいいと了解があるが、本欄へアップするときには、通知するようにしている。
-----------------------------
本日のコメントにありましたが、God save the Kingこそドイツ語の接続法に相当するという話は昔、この部分を読んでなるほどと思った記憶があります。
たとえば、クラーク博士のBoys be Ambitious ! もこれを読むまではBoys, be ambitious ! だろうと思っていましたが、<接続法としても読めるのだ!>とこじつけることもできるわけです。
高校時代、教師がよく「ボーイズ・ビー・アンビシャス!」と平板に読むのをそれはおかしい、ボーイズで一旦切らなければ英語にならないと質問したらムニャムニャ言って適当に逃げてしまいましたが、関口存男の本を読んだとき、もし高校の英語教師がドイツ語の接続法を知っていたら、堂々とカッコよく高校生を説得できて尊敬の的になっただろうにと笑ったことがありました。
英語およびイギリスというのはヨーロッパの僻地であった時代が長く、言語も英語として独立してからまだ300年強しかたっていません。
その成立過程では大陸の諸民族間の複雑な関係が必要なかったので英語に残っていたドイツ語臭さをかなり省略して、<不文憲法>の精神で必要に応じて簡便化しながら現在に至ったのだと思います。
面白いことにデンマーク語は文法は英語、発音はドイツ語のズーズー弁と思っていれば、当らずといえども遠からずです。
いずれにしても基本は時制ですが、英語の時制についての感覚をつかむにはとりあえずの入門書としてアガサ・クリスティの『そして誰もいなくなった』原題はAnd there were none を学生に原書で読めと勧めています。
いずれにしても基本は時制ですが、英語の時制についての感覚をつかむにはとりあえずの入門書としてアガサ・クリスティの『そして誰もいなくなった』原題はAnd there were none を学生に原書で読めと勧めています。
これはある島に閉じ込められた登場人物10人が全員死んでしまうのですが、さて、犯人は何番目に死んだ人間かを推理させるミステリーです。
私は昔、赤坂東急ホテルでアルバイトしていたときに宿泊客が捨てて行ったペーパーバックを貰って読んだのですが、構成は映画のシナリオ風、文章は単文の積み重ねなので、大学2年の英語力でも辞書なしで読めました。
ところが、時制と前置詞についての感覚が曖昧だと犯人は見当がつきません。もちろん、私の推理は大外れでしたが、それでも通常の英語文法でいう時制、つまり、現在形、過去形、未来形、それぞれの完了形の関係はどうなっているのか、どう使われるのかがじつによくわかりました。
歴史関連の原書を翻訳するうえで、これほど役に立った本はなかったですね。
-----------------------------
『百%の真善美』
『明治廿五年九月のほととぎす』
『漫言王 福沢諭吉』
Eさんは独自な視点でいい本を書いています。
【文法用語の使用についてのebisuの意見】
わたしは成績下位層の生徒と成績上位層の生徒では使い分けをしています。
成績上位層の生徒には文法用語、哲学用語、経済学用語、医学用語、etc、なんでもありです。
成績下位層の生徒への説明にはその都度語彙説明をつけるか、面倒な場合は文法用語の使用を避けます。
わたしはいろんな分野の専門家と一緒に仕事をしていたので、相手の専門分野については、本を読み、専門用語でコミュニケーションしていました。異分野の専門家と専門用語を使ってコミュニケーションするのはたいへん効率がいいのです。そして誤解が少ない。極端な場合には、3時間のミーティングが10分ですみます。
【いわゆる假定法について】
conjunctive⇒subjunctive⇒「假定法」
面白いことになりそうな気がします、せっかくいただいた斬新なる問題提起、行きがかり上、浅学非才を省みず突き進むのみ。さて、できるのかな?(笑)
>限られた字数でまとめるとなると、
>どうしても使わざるを得ないのです。
↓
僕も元・取説ライターですから、
字数や紙面の都合から、
専門用語を使わざるを得ない事情は、
十分に理解しているつもりです。
読者に知識がある事を期待できるなら、
用語は積極的に使われるべきでしょう。
ところが残念な事に、
真に解説が必要な学生は、
用語そのものに挫折しています。
つまり、
せっかくの解説が、
学生の頭と心と入っていかない。
大西泰斗先生のネイティブシリーズは、
「学生の低俗な知識レベルに合わせる」
といった卑近なものではなく、
従来からの紙媒体にも拘らず、
従来の学界の趨勢に真っ向から対立して、
文法用語を排した【イメージ】解説を成功させました。
そういう革命的で異端児的な仕事をしたいものだと、
元・英文テクニカルライターは企んでいます。